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平成21(2009)年9月のコラム一覧へ戻る

日本の社会科学者の皆さん、出番ですよ。
−ダーウィン生誕200年、進化論発表150年に寄せて

執筆 : 代表弁護士 大塚嘉一

1.今年2009年は、ダーウィンが生まれて200年、著著「種の起源」による進化論の発表から150年の記念すべき年です。

ダーウィンは、何が偉いのか。

彼は、人間もまた他の動物と同じように進化して誕生したのだと主張し、人間と他の生物との間にある垣根を取っ払ったのが、すごいのです。ちょうど、ニュートンが、天空を支配する原理と地上を支配する原理が、同じひとつの万有引力の法則で説明できることを明らかにして、天界と人間界との壁を打ち壊したのと同じように、です。

2.科学の世界では、進化論は常識となりました。

生物学の内部においても、進化論は論争を通じて「進化」しました。高名な学者同士が、全く正反対のことを主張するなどは珍しくありません。その中にあって、日本人の生物学者木村資生の分子進化の中立説は、数学のモデルを用いた達意の英文による論文で、当初、懐疑的であった論敵を、次々と説き伏せていきました。博士は、1994年に亡くなりましたが、もう少しお元気であれば、ノーベル賞は間違いなかったのに、と悔やまれます。

かつては、ローレンツのように動物の行動を種の維持のためと牧歌的に唱えていました。その反動からか、ドーキンスの「利己的遺伝子」に典型的に見られるように、遺伝子決定論が学会の主導的立場になりました。そして、自然選択の基準を、個体を超えた集団に求める立場は、学問的ではないとまで言われ、切り捨てられていました。

ところが、最近では、D・S・ウィルソン(「社会生物論」を書いたE・O・ウィルソンとは別人です。)やH・ギンタスのように、集団間での適応を考える説が台頭してきています。彼らは、数学モデルをつかって研究しています。

日本の一般の人は、このような事情を知らされていません。例えば、D・S・ウィルソンのEvolution For Everyone は、「みんなの進化論」として、今年やっと日本語に翻訳されました。翻訳者は生物学者ではありません。また、彼の、集団選択説の紹介ともなっているUnto Others や、進化論を宗教に適用したDarwin’s Cathedral は未だに翻訳されていません。日本の生物学者の怠慢です。ドーキンスの本の改訂版を出す暇があったら、ほかにやることがあるだろう、と言いたい。

D・S・ウィルソンは、前掲の書「みんなの進化論」中で、宗教については進化論的に検討したが(それがDarwin’s Cathedral)、そのほかの政治や社会の事柄についての本はまだ書かれていない、と言います。

また、進化論の立場から確実に言えることとして、社会制度は移植できない、と断言しています。

3.さあ、日本の社会科学の研究者の皆さんは、どう思いますか。

進化の集団選択説が数学的にも検討できるようになって、初めて、社会科学への進化論の適用が可能になりました。遺伝子を進化の単位と考えていたのでは、実は、人間社会に適用できるような理論はできるはずがなかったのです。もしそのようなものがあったとしたら、それは、理論をどこからか密輸入してきたのです。集団は、その構成員に対する報酬と罰(排除を含む。)とで統制されている。各集団は、特色をもつその構成員により異なり、集団と集団との間で選択が行なわれる。そうあって、初めて、集団間の自然選択が可能となるのです。構成員の性格を検討することを通じて、文学などの人文科学を論ずることも可能です。

進化論についての、日本の社会科学者の認識が、ドーキンスどまりでないか、心配です。


日本は、かつて、大化の改新で唐の律令制を導入し、明治維新で西洋の制度、文物を受け容れ、いずれもまずはうまくやった、と言えるのではないでしょうか。

アジアでは、唯一、日本だけが近代化に成功した理由について、かつてマックス・ウェーバーは、西洋の騎士階級のエトスと日本の武士のそれとを比較し、共通する原因としています。確かに、西ヨーロッパと日本だけが封建制を経験しています。

ジャンドレ・ダイアモンドは、「銃・病原菌・鉄」において、人間に優劣があるのではなく、人間が、その土地の気候風土にいかに適応してきたか、その結果として現在があるのだ、と主張します。日本でも、かつて梅棹忠夫の「文明の生態史観」が、ユーラシア大陸の東西の両端、西ヨーロッパと日本は、その他の地域と異なる歴史を歩んだとし、西ヨーロッパと日本とは共通する部分が多く、他の地域と異なることを強調しました。

4.この国日本は、我々の祖先がその自然環境に適応して作りあげた国です。

日本人のDNAについての研究の結果は、世界的にもまれなほどDNAの多様性が見られたそうです。日本列島には、過去さまざまな民族が押し寄せたはずです。それが、侵入者が先住民族を絶滅させることもなく、また侵入者が絶滅されることもなく、共存したことが窺えます。食物をはじめとする日本列島の豊かな自然が、棲み分けを可能としたことと考えられます。

律令制の研究や導入のためには、中国から多量の文物を輸入したはずです。それを可能にしたのは、日本の豊かな資源、ことに鉱物資源に違いありません。中国の古書にも、そのような記述が見えます。ジパングとは、黄金の国という意味だったではないですか。

日本列島の恵まれた自然と、そしてそこに住む人々のエトスとが、その文化を、その社会制度を、そして日本人を作り上げたのです。


現在、グローバリゼーションは、世界中の人間を同一の価値で評価し尽くそうとしているかのようです。ただ一度限り生殖の機会を与えるべく集団の中に生み出され、そして必ず滅する、という人間の条件は、古今東西世界中の人間が同じです。だからと言って、世界中の人間をまるで原子記号のように同一視するのは、間違いです。それをいいことだと言うのであれば、それは間違った理想論です。

逆に、日本人は、日本人であるというだけで、特権性を主張することは許されません。日本人が積み重ねてきた知恵を、世界に発信して、世界中の人びとに貢献してこそ、我々は、日本人であることを誇れるはずです。

今こそ、日本のこれまでの成功のパターンをモデル化して、世界に示す絶好の機会です。それは何より、我々日本人が、現在の世界的危機においてどう生きるべきか、という問題に対する指針ともなるはずです。

数学は、必須です。日本の数学者、科学者が世界に伍してやってこられたのは、数学の持つ強力な説得力があったればこそです。

日本の数学者、自然科学者にできて、日本の社会科学者にできないことはないはずです。


今、この最中にも、若い社会科学の学徒が、世界に問うべく、日本の特殊性と普遍性とを示す数学のモデルを構築中である、そう私は信じて疑いません。

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