2006.08.29

大塚 嘉一

埼玉弁護士会入会の挨拶 (初出:「埼玉弁護士会会報」1988年10月号)

1.もはや戦後ではない、と経済白書に謳われた年、埼玉県草加市にて産湯をつかう。当時は、見渡す限りの田園風景。あのころから本稿を草する今も変わらず聞こえる、夏の夜の蛙の合唱は、酒の苦手な僕のテーマ・ソングとなった。ゲコ、ゲコ、ゲコ。ゲロ、ゲロ、ゲロ。

のんびり育つ。小学生の時、運動会の前日に、祖父の言った言葉「嘉一、あんまり一所懸命走んな。転んで怪我でもしたら、つまんねえからな。」。万事がこの調子。

2.地元の小、中学校を卒業して、県内の春日部高校に進む。祖父の教えを守らず、クラブ活動で体を痛めつける毎日が続く、何の疑問も持たなかった。初めての電車通学が楽しかった。

クラスメートに、高野隆という男がいた。そこいらの女の子よりも長い髪をなびかせ、ロックバンドでタイコを叩き、女と懇ろになり、教師と衝突した。なんであいつは先生の言うことが聴けないんだろう、と訝る僕の頭は坊主刈りだった。

それにしても、彼が何故、卒業できたのか未だによく分からない。出席日数が絶望的なまでに不足していたはずなのに。

3.大学に入り、失敗を重ねた。思うところあって、卒業後も法曹を目指して勉強することにした。そして、なんとか今日こうして当弁護士会に加えていただけるまでになり、誇らしく、また光栄に思っている。勝負はこれからだ、とも思う。

ところで、その後の高野だが、大学でも偶然一緒になり、しばらくワイワイ遊んでいたが、ちょっと姿を見せないと思ったら、さっさと司法試験に合格し、埼玉で弁護士になってしまった。

彼は、今、少年問題に熱心に取り組んでいるが、僕には、その理由が分かるような気がする。

4.なお、僕が弁護士になると決意するに当たって、彼の影響を受けたことはない。念の為。