2024.11.26

大塚 嘉一

書評 内田貴著「法学の誕生 近代日本にとって「法」とは何であったか」(筑摩書房、2018年)

1.明治の日本に大活躍した兄弟がいる、と言えば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を思い浮かべる人が多かろう。ロシアのコサック兵と互角に戦った陸軍の秋山好古、バルチック艦隊を打ち破るに功のあった海軍の秋山真之の兄弟が主人公の一画を占める。

それに対して、本書には、穂積陳重(のぶしげ)と八束(やつか)の二人の兄弟が登場する。現在では顧みられることの少ない二人であるが、西洋の法及び法学(法理論、法運用の思考様式、法運用を担当する人材の教育・育成など)に全く無縁であった明治初期の日本が、「半植民地」状態を脱し、近代国家を建設するために、西洋の法を継受し、法学を受容するに当たり、二人がいかに重要な働きをしたか、その苦闘が鮮やかに描き出される。本書には、騎兵も軍艦も登場しないが、それに勝るとも劣らず、面白い。陳重が、1904年、アメリカはセントルイスで開催された国際学術会議で、様々な妨害(そうとしか思えない。)にもかかわらず、堂々と日本の独自性を論ずる講演を行ったくだりが、本書のハイライトの一つであろう。八束が、1905年、日露戦争末期にロシアに対し強硬な条件を主張した東京帝国大学教授戸水寛人(八束の学説を酷評した)の休職、山川健次郎総長の引責辞任に際し、自らの職を賭して当時の文部大臣の辞職と戸水の復職を勝ち取ったのが、もう一つのハイライトと言うべきであろう。

本書は、日本の法学者を始めとする全ての法曹の喉元に突き付けられた鋭い刃でもある。穂積兄弟の奮闘を豊かな筆致で描いたあと、著者は現在の日本の法学の在り方について、警鐘をならす。これからの日本に、法学は存在意義があるのか、と。

本書は、インテリ版「坂の上の雲」である。

本書評は、著者の問題意識に対する、私の回答でもある。

2.本書の主人公の一人穂積陳重は、日本で最初の法学者、19世紀末に、日本の期待を担った俊英としてヨーロッパに留学し、そこで当時の進化論をはじめ、歴史法学、比較法学等の最新の学問に触れる。帰国後は、明治民法の制定に関わり、枢密院顧問にまで昇り詰める。彼の主著(死後、編集され、公刊されたものも含む。)に、「法律進化論」第一冊(1924年、大正13年)、第二冊(1924年、大正13年)、第三冊(1927年、昭和2年)、「神権説と民約説」(1928年、昭和3年)、「祭祀及禮と法律」(1928年、昭和3年)、「慣習と法律」(1929年、昭和4年)、「復讐と法律」(1931年、昭和6年)がある。陳重は、進化論に取り組み、「社会力」という概念で、その理論を作ろうとしたが、未完に終わった。

彼の学説に対しては、自然科学の原則を社会科学に適用する誤りに陥っている(団藤重光)、単線的に下等なものから上等複雑なものへと発展すると説く社会進化論だ(長尾龍一)、との批判がなされている。しかし著者は、事実はそんなに簡単ではないと言う。陳重は、もっと壮大な体系を企図していた、と主張する。決して、当時の社会進化論を単純に当て嵌めているのではなく、日本の伝統を普遍的な理論に位置づけ、意味づけるという手法において、一貫していると著者は強調する。確かに、陳重の残された著書を丹念に見てみると、日本の特殊性を重視し、仮定を想定し、その根拠を広く求める、といった研究をしている。

法学に自然科学的手法は通じない、必要ないという意見には、賛成できない。現に、経済学には相当高度の数学が使われており、実用化されている。行動経済学や実験経済学が活発に研究されている。政治学に関連して、ゲームの理論が用いられ、対立と協調をめぐる多くの重要な問題に結果を出している。文系の諸学科に、データ処理や因果関係の存否に関連して統計学が積極的に用いられている。普遍を求める学問の手法に、自然科学とその他とを区別する必要はない。

もう一人の主人公穂積八束は、日本で最初の憲法学者である。その天皇中心の思想は、当時から激しい非難が加えられた。現代でも、異様な主張とも見える。しかし、著者の視線は冷静である。むしろ愛情を感じる。当時の弱肉強食が当たり前であった国際社会において、日本が生き残るための彼の方便であったことが示唆される。

著者が強調するのは、二人ともあくまで日本の独自性、正当性を追求していたことである。一般的には、明治維新とは、鹿鳴館に見られるように西洋の猿真似と思われがちであるが、そのような常識は、本書によって見事にひっくり返される。

3.穂積らによる西洋の法の移植、法学の受容のあとは、日本の法学は、儒教を受容したと同様の伝統的な解釈学となった、と著者は言う。いわゆる法解釈学である。我々が大学で学び、司法試験で試され、裁判所で行われているものに違いない。

そして著者は、自らの経験から、第二次世界大戦後の高度経済成長を経て、日本人は、西洋というお手本を失ったと考えているのではないかと疑う。その時期について、著者は明示しないが、エズラ・ボーゲル「ジャパンアズナンバーワン」(1979年、昭和54年)、盛田昭夫・石原慎太郎「ノーと言える日本人」(1989年、昭和64年)ころからであろうか。そして、そうとするなら、現在、我々は、何を基準に法学を考えればよいのか、と問う。明治期は、まだ軍艦や大砲という脅威が目の前にあった。敗戦後の国家目標は、日本の再建、と誰の目にも明らかであった。しかし、グローバリズムが徹底し、日本も国際経済にがんじがらめとなって、何もかもがグローバル・スタンダードで判断される現在、日本の特殊事情を考えるべきか、どう考えるべきかが問題である。長年法学教育に携わり、今般の民法改正にも関与した著者は、その経験から、法実務及び法教育において、実務的側面だけが強調され、法理論的側面が等閑視されている現状を憂える。法科大学院を失敗と断じ、「理論」の復権を訴える著者の魂の叫びが聞こえる。

私は、進化生物学が、その求められる「理論」の中核となると考える。そして、かつての社会進化論ではなく、現在、欧米を中心に活発に行われている文化進化論の議論に、日本の学者は飛び込むべきだと主張したい。後述する。

4.さて進化論とはどのようなものであるか。ダーウインは、「種の起源」(1859年))において、全生物は一つ(またはいくつか)の始祖にはじまること、生物は①個体の多様性、変異、②生存競争における淘汰(自然選択)、③継承による生存、により進化することを主張した。一見して、神が万物の創造主であるとするキリスト教に背くことから、激しい反発を招いた。一方、社会は単純なものから複雑なものへと変わるという思想は昔からあったものの、スペンサーの社会進化論は、進化論を応用し、「適者生存」を主張し、主として、当時の新興国アメリカ合衆国でもてはやされた。

その後、1940年代に、メンデルの流れをくむ集団遺伝学の知見が加えられ、ネオ・ダーウィニズム(総合進化説)が生まれた。長年、疑問とされてきた生物の利他的行動について、数理的に解決したことなどから、学問としての基礎を固めた。現在、かつてのコンラート・ローレンツ流の「種の存続本能」を、そのまま主張する生物学者はいない。遺伝子を進化の単位とする立場から、E・O・ウイルソン「社会生物学」(原著1975)、リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」(原著1976年)が出版された。特に後者は、遺伝子が生物の進化の主役であって、生物の体は(人間も含め)、その乗り物にすぎないと主張し、世界的なベストセラーとなった(ここで、太古の地球に不時着した異星人が、故郷に帰還するため人間の遺伝子に乗り移り、進化を加速させ科学技術の進歩を待つ、というエロチシズム満開のSF大作、半村良の「妖星伝」を思い起こす人とは、美味い酒が飲めそうだ)。双方ともに、遺伝子決定論だと、学者、一般人から反発を受け、ウイルソンが公開の場で水をかけられるというおまけまでついて議論の応酬は続いた(社会生物学論争)。しかし数式を用いた理論は説得力があり、今では、進化生物学の名で広く認められている。進化の単位が遺伝子か、個体か、(種までは大きくはない)集団であるかが、今、激しく議論されている。しかし、論争の華々しさにもかかわらず、それほど差はないように思う。余談だが、日本における特殊状況として、動物行動学が進化生物学と同様の問題を扱っているが、動物行動学の大御所には、あまり論理に厳密ではない人が幾人かいる(今となっては、いた。)。

社会生物学論争などの論争を経て、欧米の学会においては、数理モデルを用いた進化生物学は、その他の理系の学問に伝播した。進化心理学のスティーブン・ピンカーなどのスター学者を生み出した。現在、文科系の学問に対してもその影響を広げつつある。文化や社会制度などについても進化論が適用できるのではないかが、説得力をもって議論されており、さらに進化論のもと社会科学の統一もが予見されている(アレックス・メスーディ「文化進化論」(原著2011年)、田村光平「文化進化の数理」(2020年)等々)。文化進化論には、いろいろな立場からのものがあるが、基本的文献として、Cavalli-Sforza「Cultural transmission and evolution」(1981)、Boyd and Richerson「Culture and evolutionary process」(1985)の二冊がある。数学が苦でなければ是非、挑戦してもらいたい。数式を用いなくとも、文化進化には基本的にダーウイン進化論が適用されるとの視点だけでも、だいぶ議論が整理されるはずだ。進化生物学そして文化進化論には、個体の協調の面と対立・争いの面とがある。さらに集団においてその内部で構成員の対立・抗争と協調があり、外部で他の集団との間に対立・抗争と協調とがある。そしてそれらには論理的な関係がある。集団の個性が重要になる。

進化論の観点からは、地球上の全ての生物は兄弟であり、それぞれ環境に適応し、特に対立し時に協調して生き残り、活躍の場を広げてきたこと、人類は、そのトップランナーとして、人類のみならず全生物に全地球的規模で影響を与えていること、そのような世界観が立ち現れる。

「進化の光に照らされなければ文化に関わる全ては意味をもたない」(リチャーソン、ボイド)という時代が目の前にある。

5.では社会進化論とは、何者であろうか。ここで問題である。次の設問に正しいなら〇、まちがっているなら×を。第1問、進化論を先に説いたのは、スペンサーであってダーウィンではない。第2問、「進化」という言葉を先に使ったのは、スペンサーであってダーウィンではない。第3問、「適者生存」という言葉を先に使ったのは、スペンサーであってダーウィンではない。

正解は、いずれも〇である。一般には、スペンサーという人が、ダーウィンの進化論を誤用し、社会は単線的・直線的に進歩する、とか、適者生存、とかを主張した、というイメージが強いと思うが、ことはそんなに簡単ではない。ダーウィンの登場以前から、社会は単純なものから複雑なものへと発展するという説は、モルガン「古代社会」など、あまたあった。ヘーゲルの「歴史哲学」も、マックス・ウエーバーの支配の類型論も、そのように見ることができよう。それは、現在でも続き、例えばパーソンズも、進化論を意識した論文を書いている。

かつての、単純かつ直線的な進歩、適者生存を主張するような、いわゆるスペンサー流の社会進化論は、少なくとも学会においては、今や影も形もない。特にアメリカで名声を博したスペンサーであるが、近時、スペンサー自身の思想について見直されていることには注意が必要だろう(挟本佳代「社会システム論と自然 スペンサー社会学の現代性」(2000年)、森村編著「スペンサーコレクション」(2020年)等々)。

6.著者の、冒頭の問いかけに対しては、現代日本において法学の存在意義はあると答えたい。そして、法曹がどう応えるかに、この先日本が生き残れるかどうかがかかっている、と言っても過言ではない。

かつて法学は、国家の学として、哲学をも包含し、諸学の王であった。文化進化論では、近時、協調行動の進化に、制裁や戦争が密接に関係していることが明らかにされつつある(ボウルズ、ギンタス「協力する種」(原著2011年))。国家は、制裁の体系であり、対外的に戦争を遂行する主体である。法学は、現代においても国家の骨格を決める重要な学問である。

法学と時代の関係はどうか。明治期は、まだ軍艦や大砲という脅威が目の前にあった。敗戦後の国家目標は、日本の再建、と誰の目にも明らかであった。アジアで初めての近代国家となることができた日本。その後の敗戦から立ち直った日本。私は、その際、法学のみがそれを成し遂げたとは思わない。しかし、それぞれの時々に法学が重要な役割を演じてきたことは否定出来ないと思う。

そして現代。グローバリズムの弊害、南北問題、人口問題、戦争、天変地異、気候変動、エネルギー問題、疫病のパンデミック、AI(シンギュラリティー)、国内の少子高齢化、移民政策、教育問題、行政改革・司法改革の失敗、経済格差の拡大などによる国民の分断等々内外の問題により日本は一挙に壊滅するのではないか、あるいは次第に衰退していくのではないか、それらに対する対策は万全か、問題は山積している。何が問題かも必ずしも明らかではない。

このような時代に、法曹がどう応えるかに、この先日本が生き残れるかどうかがかかっている、という点で、明治期の日本と同じである。法学の専門家が政治、経済、文化のみならず理系の専門家らと協議し、議論をリードできるはずだ。法学が、諸学科の専門知を取り入れ、その内容を豊かにすることができる。現在、経済学には相当高度の数学が使われており実用化されている。行動経済学や実験経済学が活発に研究されている。政治学に関連して、ゲームの理論が用いられ、対立と協調をめぐる多くの重要な問題に結果を出している。文系の諸学科に、統計的因果推論などデータ処理や因果関係の存否に関連して統計学が積極的に用いられている。それらとの協働の際、法学は、進化生物学を共通言語として利用することができる。

近代国家の成立、再起に成功した日本の経験(そして失敗の経験。)、加えて現代の問題点とそれに対する対策を普遍化すること、そしてそれらを全世界に伝えることは、人類の歴史上の重要な課題と言うべきである。近時、覇権を目的とするかに見える国々に対しても、教訓となるのではないか。 既に文化進化論の観点から、罰の進化(大槻久「協力と罰の生物学」(2014年))や、国家の隆盛(ターチン「国家興亡の方程式」(原著2003年))について、活発な議論がなされている。

その際「利己的遺伝子」とか、「ミーム」(ドーキンスによる遺伝子以外の承継因子)を理由に挙げるだけでは議論が不十分である。各学科により、その学科の特徴に応じ、内容を充実させ、掘り下げた研究が必要だ。進化生物学による社会科学の統一とは、進化学を意識した各学科に共通の手法が用いられるという意味である。これにより、学者のアイディアが容易に確実に交換され、学問の価値が高められる。自分の学問に自身のある人ほど、議論に参加して欲しい。

文化進化論の観点から、穂積陳重の理論を再検討し発展させることは、現代においても、有意義であろう。例えば既に、彼の「隠居法」の研究は、老人の社会に対する権利として、高齢化社会の現代において、再評価されている、という。その他にも、「五人組」や「仇討ち(復讐)」の論文が、進化理論に位置づけられ意欲的野心的な学者によって研究されることを待っている。

「法律学は学問の世界の田舎町である」とは、昔から言われてきた。特に日本の法律学について、強くそう思う。世界で論じられていることに、あまりに無関心なのだ。進化生物学が、理系と文系の垣根を取り払い、さらに社会科学の統合を視野に入れ始めている今、私は、日本の法学が覚醒し、世界に発信できるような成果を挙げてもらいたい、と強く願う。

日本において、法学に自然科学の手法、視点を取り入れた学者として、まず太田勝造が挙げられる。早くに、ベイズの定理などを紹介する仕事をしている。現在も、数理を扱う論文を発表しているが、一般人のみならず、法学者・法律専門家に対してさえ、理解されることはあきらめているかのようだ。進化生物学を取り入れて積極的、説得的に自説を展開している学者に、内藤淳がいる。しかし、彼の論調は、人間の本性の内の協調性の点に偏っており、対立・争いの側面が十分に論じられていない。概して、自然科学的手法や進化生物学を理解し、積極的に自説を展開しようとする学者は少ない。実務家においておや。

専門家同志、専門家と一般人との間で、意識が隔絶している、あるいは議論が「空中戦」となる度合いが大きい、死刑制度の存廃論、憲法9条改正の是非論についても、決着はつかないとしても、見通しがよくなることが期待できる。

近代国家の成立、再起に成功した日本の経験(そして失敗の経験。)、加えて現代の問題点とそれに対する対策を普遍化すること、そしてそれらを全世界に伝えることは、人類の歴史上の重要な課題と言うべきである。日本の法学者らに課せられた、世界大の任務である。

7.本書を読むと、著者から、お前は、今、日本が直面している危機を危機として認識しているか、主体的にそれと取り組んでいるか、と叱られている、あるいは励まされている気持ちになるのは、私だけではないだろう。かつて法学の議論に、進化論を積極的に取り入れて、西洋の物真似ではなく、日本の独自性、正当性を普遍的な立場から主張しようと闘った穂積陳重らの先達がいるという事実は、現代の我々にとって、勇気とインスピレーションの源泉であり続ける。本書を読み物としての「坂の上の雲」で終わらせてはならない。

穂積兄弟の物語の終わるところ、我々の物語が始まる。