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民事介入暴力と幡随院長兵衛
1.民事介入暴力とは、暴力団等が、暴力・威嚇力等を利用して、市民生活や企業活動上の民事紛争に介入し、不法不当な利益の獲得を図ることを言います。略して民暴とも言います。
法治主義を脅かし、健全な市民生活に対する害悪であって、到底許されることではありません。
歴史的には、暴力団の資金獲得活動の変移とこれに対する警察や弁護士会の活動と見ることができます。戦後、暴力団は、賭博、覚せい剤、売春等の犯罪行為そのもので資金を得ていました。これに対して、警察は、昭和30年代から40年代にかけて、いわゆる頂上作戦を展開し、徹底的に取り締まりました。
そこで暴力団は、警察の民事不介入の原則をたてに、新たな資金源を求めて民事事件に介入してきました。いわゆる取立屋、交通事故の示談屋、整理屋などです。民事介入暴力の発生です。これに対して警察庁は、従前の姿勢を見直し、昭和54年に民事介入暴力対策センターを設置しました。日本弁護士連合会も、翌55年には、民事介入暴力問題対策特別委員会(現在の民事介入暴力対策委員会の前身)を設置しました。その後、全国各単位弁護士会でも同種の委員会が次々と設置されました。今では民暴事件に対しては、警察と弁護士会が一致協力して当っています。
私も、昭和63年に弁護士になると同時に、埼玉弁護士会の民事介入暴力対策委員会(当時は、民事介入暴力被害者救済センターと言っていたと記憶しています。)の委員となり、それ以来活動を続けています。
平成4年、暴力団対策法が施行されました。その前後から、エセ右翼団体、エセ同和団体、社会運動標榜ゴロなど暴力団とは別の団体の名を使った活動が見られます。さらに現代は、一見普通の企業でありながら、背後に暴力団が控えており、それをちらつかせて有利に事をはこぼうとする、いわゆる「企業舎弟」や「フロント」などが目立ちます。また、闇金、振り込め詐欺(以前の言い方ではオレオレ詐欺)などが、暴力団の新たな資金源になっているようです。闇金の収益金50数億円が、スイスの銀行で発見されるなど、その被害規模の大きさには改めて驚かされます。
弁護士会は、民暴の防止、被害者の救済のために、新たに発生する状況に対しその対応を日々、研究、実践し、成果を挙げています。
2.民事介入暴力の被害に遭ったらどうすればいいでしょうか。まず、誰でもない、当の本人が、法律に基づく正当な解決をするんだ、との気構えをもたなければなりません。そのうえで、弁護士、警察、暴追センター等の協力を得て、対処します。具体的には、次のことに気をつけます。
- 相手の確認。暴対法施行以降は、暴力団は、名刺を出さなくなりました。年齢、身長等の特徴をメモするだけでも有用です。車のナンバーの確認も役立ちます。
- 要求の明確化。何を要求しているのか明らかにさせます。
- 証拠の確保。写真、テープレコーダー、ビデオなどで、証拠を残す。交渉経過を書いたメモの作成も有効です。
- 会社内の応接室等で応対し、相手の指定する場所、特に組事務所等には行ってはいけない。相手のテリトリーに入ると、相手のペースに巻き込まれます。ホテルのロビーなども避けます。
- 複数で役割を分担し、相手に応対する。最初からトップには対応させない。
- 法に基づく解決を求める立場で一貫した対応をし、不用意な発言、即答をしない。念書を書かない。予約のない面会は原則としてしない。時間を区切る。湯茶等の接待をしない。
- 毅然とした応対をし、おそれない。しかし侮らない。
- 警察への届出、警備要請、刑事告訴を検討する。各県の暴追センターの賛助会員になるのも良い方法です。
- 早期に弁護士に相談し、委任する。面談禁止の仮処分、街宣禁止の仮処分などの法的手段で対抗し、まず暴力団からの接触、煽動行為等をやめさせます。
- 別の暴力団を利用しない。
3.たくさん挙げた心構えの中でも、暴力団を利用しない、というのは大事なことであり、深い意味があります。
誤解を恐れずに敢えて言えば、我々は誰もがその心の中に、弱きを助け強きを挫く任侠に対するあこがれのようなものを抱いているのではないでしょうか。
やくざの元祖とも言われるのが、芝居の「人は一代、名は末代」の名台詞で有名な幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべい)です。江戸時代初期の実在の人物だということです。
戦国時代が終わり、活躍の場をなくした旗本たちの暴れ者集団である旗本奴(はたもとやっこ)の横暴に町人たちは苦しめられていました。町人たちも同様なグループである町奴(まちやっこ)を作り対抗しました。彼らは、異様な風体をしてカブキ者と呼ばれていたそうです。彼、幡随院長兵衛はそのリーダーでした。芝居では、殺されると分かりながら、争いを収めるため、敵地に乗り込みます。私も、その姿には、「カッコいい」と思います。彼らの行動は、警察も司法制度もなく、人権や法治主義などという考えもなかった当時、自分たちを守るためには、対抗する暴力を備えるしかなかった、と理解できます。
しかし現代のように法の支配の貫徹する社会においては、暴力に見舞われた場合の対処方法としては、正当防衛等の例外を除いて、自ら暴力を行使することは禁じられています。その代わり私たちの秩序は、警察、司法制度によって守られています。現代のような高度に分業化し複雑化した社会においては、正義感でさえも単純な形ではあり得ないのです。
現代において、真に任侠の心を抱く者は、カブキ者の中にではなく、普段から法を尊重し真面目に働き税金を納めて生活している普通の人々の中に、目立つことなく人知れず存在すると、私は信じています。
私は、そのような人を応援したいと思っています。
幡随院長兵衛の派手な活躍に拍手するのは、芝居の中だけのことにしておきたいものです。