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平成20(2008)年4月のコラム一覧へ戻る

ウイルソンの霧箱、フェラーリ156F1、そしてビンに閉じ込められたクモの話

執筆 : 代表弁護士 大塚嘉一

1.弁護士として自分のやりたいこと好きなことと、自分に要求されることやらなければならないこととの間に、ズレがあるかなと感じるたびに、思い出す話がいくつかあります。

まずウイルソンの霧箱の話を。

チャールズ・ウイルソンは1869年生まれスコットランドの物理学者。彼は、気象現象とくに雲の発生に興味をもち研究をしていました。当時、それはすでに時代遅れでありましたが、彼は気にしません。そして、霧を発生させる箱を発明しました。さて、当時、原子核物理学の勃興期です。彼は、霧箱で放射線の飛翔の跡を示せることを思いつき、それを成功させました。その功績に対して1927年、ノーベル賞が授与されました。素粒子を把握する方法は、その後、発展を遂げ、最近ニュートリノを観測した小柴教授がノーベル賞を受賞したことはご承知のとおりです。

流行の研究ばかり追っていては一流の科学者にはなれない、とはよく聞く話です。

教訓:自分の好きなことやりたいことをすること、しかし時代の動きを感じていること。

2.次にフェラーリの156F1の話を。

フェラーリ社の創設者エンツォ・フェラーリは、自動車レースに勝利することに全生涯を捧げた人でした。彼は、レーシングカーに一番大事なものは高馬力のエンジンであるとの信念をもっていました。12気筒エンジンが有名ですが、他の種類のエンジンも開発していました。有名なのは、若くして難病で亡くなった彼の一人息子ディーノが開発に関与したと言われるV形6気筒のエンジンで、小型軽量の高性能エンジンに仕上がりました。

さて、1950年代から60年代にかけて、自動車レースの世界で、エンジンを車体のどこに置くかをめぐって、大変革がおきました。それまで、ドライバーの前にあったエンジンを、その後ろに置く方式(ミッドシップと言います。)を、イギリス人がやりだし成功を収め始めたのです。部品のなかでも重量のあるエンジンを、自動車の中心に持ってくることは、回頭性を高める、即ちカーブを早いスピードで回れる道理です。現に今でも、F1では全ての車両がこのレイアウトを採用しています。さらにF1の主催者は、行き過ぎた馬力競争にストップをかけるために、1961年からエンジンの容量を1500cc以下にすると発表しました。

エンツォは、最初、ミッドシップのレイアウトを、受け容れませんでした。馬車は御者の前に馬がいるものだ、と言ったそうです。しかし、周囲の進言もあって、これを採用することを決意しました。そして、ディーノのエンジンを載せます。理想的なシャーシーに小型軽量高性能のエンジンをのせたらどうなるか。はたしてそのフォーミュラカー156F1が登場した1961年、フェラーリは車両部門でF1のチャンピオンとなったのでした。

私がレストアをしているクルマは、その156F1の流れを汲むエンジンを載せています。そのエンジンを始動させ、クルマを運転することは無上の喜びです。そして、エンツォのレースでの勝利にかける執念、そのために支払った犠牲、そして彼の幸運、すなわち成功の諸条件について思いをいたすのです。

3.最後に、ビンに閉じ込められたクモの話を。

ある作家のエッセーだったでしょうか、ビンの蓋を開けたところ、その中から一匹のクモが飛び出し、ササササと逃げ出した、というのです。作者は、クモは蓋が開けられるのをじっと待っていたのだろう、と書いていました。

暗いビンの中で、逃げ出す機会を窺う一匹のクモの姿が思い浮かびます。

しかし、そうでしょうか。そのクモも、ビンの蓋が開けられるやいなや飛び出したところを見ると、ビンの中で煮詰まっていたのではなく、機会をうかがいながらも、やっぱりやりたいことをして過ごしていたのではないでしょうか。例えば、柔軟体操など。きっとそうです。

柔軟体操を好きなクモがいるのかどうか、昆虫学に疎い私には分かりませんが。

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