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裁判員 その恍惚と不安と
1.今日、平成21年5月21日は、裁判員制度の始まる日です。
裁判員は、国民の中から、抽選で選ばれます。
あなたは企画を通すためにプレゼンの作成に忙殺される会社員かもしれません。子供の教育に忙しい家庭の主婦かもしれません。それでも裁判員に選ばれれば、原則として拒否できません。
あなたが、裁判員に選ばれたとき、抽選で選ばれること自体に意味があるのです。
人類は、権力を集中し、国家を作り上げました。リヴァイアサンたる国家の横暴を抑えることは、現代でもなお重要な課題です。
その課題に応える仕組みの一つが国民の司法参加です。この度の裁判員制度は、国民が刑の量刑まで判断するラジカルな直接民主政を採用しました。
場合によっては、死刑までありえます。
そのような重要な判断を、国家権力に丸投げすることは危険です。
だからといって、多数決で決めたのでは、多数者が数を頼みに、少数者の権利を侵害するおそれもあります。
そこで、偶然という契機を導入して、裁判員には、抽選でなってもらうことにしたのです。
民主制における独占を排除する巧妙な仕組み、ということができます。
古代アテネでは、公の場で、抽選器という機械を用いて、陪審員の抽選をしていました。わが国でも、密室での抽選ではなく、公の場での抽選をしてみるのもいいかもしれません。
2.裁判員に選ばれたあなたは、全人類的な、歴史的な意義を果たすことになります。
この度の裁判員制度では、事実認定のみならず、量刑の判断まで、裁判員が担います。量刑の判断は、かつて古代ギリシャの陪審員が行っていたことでした。この度の裁判員制度のように、大掛かりな量刑判断を一般人がするのは、人類の歴史上2300年以上の時を隔て、時間、場所そして民族を超えての再度の試みとなります。
人を殺しても、必ず死刑になる、というわけではありません。それはなぜか。
死刑は、国家が個人を殺すことです。国家とは何か、について真剣に考えることになります。
懲役や死刑は、犯罪者を排除することです。死刑は、究極的な排除の形です。
我々は、ただ単に、被告人を排除するだけでいいのか。再び、彼を社会に向かえ入れることはできないのか。 そもそも、彼を、犯行に至らせたものは何なのか。それを防ぐことはできなかったのか。
我々は、自分自身の内面を誠実に見つめ、悪を見つけたとき、単に被告人を敵や悪魔だと断じて、処断することはできないはずです。
量刑判断には、個人の復讐心を超えた社会正義についての考察が必要です。
リヴァイアサンに代え、あるいはリヴァイアサンとともに、正義の女神(テミス、ユステティア)の姿を追い求めること、それこそ、現代において、我々が、そしてその代表たる裁判員が、裁判官と一緒になって考えるべき課題です。
3.個々の事件について、裁判員として真剣に議論した経験は、きっと、あなたの会社での活動や、あなたの子育てに役立つはずです。
そして、そのような人が増えることは、必ずや、この日本の社会を変えていくはずです。
裁判員に選ばれたあなたには、その役目が与えられているのです。
我々は、今、裁判員制度を通じて新しい日本人像を作り上げようとしているのです。
対話を通じてあなたは変わるかもしれません。他の裁判員、裁判官も変わるかもしれません。そこに新たな共同体ができます。それは、個々の裁判員、そして裁判官を越えた認識を共有しているはずです。
その経験は、裁判員制度に限らず、我々の関与する全ての共同体に応用可能なはずです。
裁判員となって、評議することは、実は会社で仕事をすることや、家庭で育児をすることとつながっているのです。そのような日常生活を、実は裏から支えているのです。
我々の子供たちが仲間たちと楽しそうに遊ぶ姿をみたいものだと願います。
我々はなお進化の途上にあるのです。
裁判員制度は、確実にあなたを、そして日本を変えるはずです。
裁判員制度は、それくらいの可能性を秘めています。
裁判員裁判は、我々日本人が、人類の一員として21世紀を生き抜くのに、是非とも必要な制度なのです。
そして、我々の経験は、全世界の人類に対して開かれています。
現在、グローバル化の名のもとに、経済的には、全世界の人間が、同じ条件で競争をすることを強いられています。その中にあって、全人類的な問題として、国家の役割とは何か、が問われています。
世界に向けて、21世紀の自由と民主主義のあり方を日本が世界に示す、そんな展開になりたいものです。
4.あるアンケート調査によれば、裁判員になることに不安をおぼえるものの、「判決で被告人の運命が決まる責任を重く感じる」と回答した人が75・5パーセントにのぼったそうです。日本人は、いざ、裁判員に選ばれれば、その真面目な性格から、きっと裁判員の役目をやり遂げてくれるはずです。
あなたが悩む、不安に思う、そのことが裁判員制度を、刑事制度を、そして日本を、ひいては世界を輝かせることにつながるのです。
ヴェルレーヌの次の言葉こそ、裁判員に選ばれ、その意義を理解したあなたに相応しいものはないでしょう。
「選ばれて在ることの恍惚と不安とふたつわれにあり」(堀口大學訳「新潮社文庫」)。