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サンデル教授の正義論を読む
1.ハーバード大学のサンデル教授の正義論が評判のようです。邦訳は、「これからの『正義』の話をしよう」(早川書房)。
テレビで、教授が学生相手に、議論をふきかけて困らせているのを見た人も多いことでしょう。
哲学関係の入門書といえば、ずいぶん前に、「ソフィーの世界」というのが流行りましたが、それは哲学の本というより思想史といった趣きでした。本書は、本物の哲学者が哲学そのものに焦点を当てています。
しかし評判の割には、中身が乏しい。
2.サンデル教授は、共同体の価値観を重視するコミュニタリアンを自称し、その立場から、他の哲学や思想を批判的に述べたのが本書です。功利主義やロールズの正義論がやり玉に挙げられています。
ロールズの正義論は別の機会に譲ることとして、ここでは功利主義について考えます。
教授が例に挙げる功利主義は、ずいぶん前のものです。わざとなのか、ベンサムから一歩も出ていません。
我が国においても、功利主義は「最大多数の最大幸福」というスローガンが独り歩きしているためか、あまり受けがよくありません。しかしベンサム以降、功利主義は、優秀な頭脳に育まれ、大樹となって、大きく育っています。
3.まずシジウィックが、「倫理学の方法」で功利主義を分析しました。大部なその本(Sidgiwick The Methods of Ethics 1874)の中で、功利主義の要素として自愛の原理と博愛の原理を認め、その関係を詳細に論じています。加藤尚武による邦訳がアナウンスされていますが、まだ出版に至っていないようです。
ヘアは、その著書(R.M.Hare Moral Thinking 1981)で、分析哲学の出身らしい精緻な筆法で、なぜ利他的な道徳感情が道徳律として認められることになるのかという議論を精力的に展開しています。邦訳は、「道徳的に考えること」(勁草書房)。ヘアは、同書中で、功利主義に対する世俗的な批判に対して、極端な例を作り出して一般化する誤りに陥っていると再批判をしています。サンデルの功利主義批判は、ヘアに再批判された批判そのものです(1人を殺すか5人を殺すか選ぶしかない状況におかれたら功利主義では解決できない、あるいは不当な結論を導き出す、と)。ヘアの功利主義の最も重要な点は、それが、人々の選考を考慮することによって、あらゆる考え方に対する批判的思考を可能とすることです。ヘアは、経済学で用いられる社会的厚生関数についても、その根拠に自分の説が有用であることを示唆しています。このように補強された功利主義なら、サンデルらのコミュニタリアンの議論にも資するのではないでしょうか。
アマルティア・センは、1998年、ノーベル経済学賞を受賞しました。グローバル化社会において、弱者に向けられた彼の目くばりは、とても貴重なものです。彼の厚生経済学の背景には、大きく育った功利主義があるに違いありません。セン自身は、功利主義を批判するかのようですが、彼の非難が向けられているのは、功利主義を硬直的に用いることに対してです。
4.その昔、プレッピーハンドブックというのが流行りました。学生のおしゃれのガイドブックです。本書は、現代のプレッピーハンドブックです。ハーバードに行けるような裕福なお坊ちゃん、お譲ちゃんの必携書です。自分とその周囲の価値観で、ぬくぬくとしていたい人の精神安定剤です。自己のアイデンティティーが自己の帰属する共同体の価値観に規定されるとすれば、そこには個人の責任はないからです。
でも、もし一人でも本書によって本当の哲学に目を開かれる人があらわれたら、自分の属する共同体の「正義」に対しても批判的思考のできる若者が生れたなら、共同体の責任を自己の責任として引き受ける者が出現したなら、本書の存在意義があったことになるでしょう。