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大江健三郎な弁護士会なんて要らない−弁護士会の集団的自衛権反対に反対の弁護士からの提案
1.埼玉弁護士会は、今年(平成26年)5月22日に、解釈改憲による集団的自衛権行使容認に反対し、非軍事恒久平和主義、立憲主義の堅持に向けた諸活動に取り組む決意を表明する総会決議、というものを発表しました。日本弁護士連合会も、同月31日、同様に集団的自衛権に反対の意見を発表しています。
私は、埼玉弁護士会や日弁連が、このような決議、意見を発表したり、あるいはそのような趣旨で集会をしたりすることには反対です。埼玉弁護士会、日弁連の会員全員がそのように考えているわけではないことを宣言したい。私は集団的自衛権に賛成する弁護士です。
2.私は、現代日本が、集団的自衛権を認めること、もっと言えば集団だろうが単独だろうが自衛権を持ち、そのための軍備は必要だと考えています。ギリシャ哲学の田中美知太郎の言葉です。「憲法で平和が保障されるのなら、台風の襲来も、憲法で禁止しておけばよい」。私は、日本は軍備を備え、それを正面から憲法で認めるべきだと考えますが、詳細は、他日を期したいと思います。
ここで問題としたいのは、弁護士会の議論の進め方です。すなわち、弁護士会の考え方の基本には、憲法9条の平和主義に関連して、平和を守ることが、他のいかなる原則や考慮にも優先する、との絶対的平和主義とも言うべき主張、考え方があるように思います。そうでしょうか。日本人の生命、身体、自由、財産が守られることが大事なのであって、平和主義そのものが大事なのではないのではないでしょうか。そのためには、原則はこうだとしても、他に同様に重要なこのような原則があり、場合によっては原則の例外を認めたり、あるいは原則相互の調整が必要になるのではないでしょうか。また、ある原則が、ある歴史的状況下では正しかったとしても、その後の状況の変化により、妥当性を失っている、という場合もあるのではないでしょうか。
暴力を禁じる直観的原則を奉じ、それを守り通そうとすれば他の同等に重要などんな諸原則に背くように強制されることになるのかも考慮せずに、それを執着し、原則相互間の葛藤を批判的思考によって解決するのではなく、一つの原則を極めて不合理にも他の全ての原則よりも高い位置につけて解決する者、というのが、R・M・ヘアによる平和主義者の定義です(R・M・Hare MORAL THINKING 1981(内井惣七他訳「道徳的に考えること」1994))。この分析哲学の大家を突き動かすものは、このような姿勢からは対話や議論によって問題を解決するという土壌が育たずに、却って暴力の支配する世界を招くのではないか、という危機感です。彼は、どのような議論においても、直観的思考を排し、批判的思考をすることの重要性を力説します。
平和主義者の態度は、あるいはその親から、あるいはその教師から教えられたものかもしれません。その親なり、教師の教えは実に尊いものです。平和は、何にも増して追及する価値のあるものだからです。しかし、それも状況による、ということを教えなかったとしたら、その親や教師にも責任がありましょう。これも、ヘアの主張するところです。
3.かつて、日弁連が意見表明をすることに異議を唱え、訴訟に持ち込んだ会員がいました。裁判所は、日弁連という内部のことであるとして、その異議を認めませんでした(平成4年東京地裁)。
日弁連をはじめとする弁護士会の政治的意見表明には、普段から苦々しく思っている会員は、私を含め少なくない数の者がいると思います。我々は、先の裁判所の判断を前に、あまりにも無気力となっていたのではないでしょうか。
弁護士会という強制加入団体が、内部に反対の者がいるにもかかわらず、政治的意思表明をするという、考えてみれば異常な事態を、放置してきた者の責任もあるのかもしれません。
4.繰り返しになりますが、平和主義は、それ自体追及するべき価値のある重要な原則です。その意義は、いくら強調しても強調しすぎるということはありません。
文士が、すなわち虚構を以て人を酔わせることを生業とする人間が、高邁な理想を語って、その理想の重要性を世間に訴えるというのは許されるかもしれません。しかし、弁護士会という統治機構の一翼を担う機関が、理想だけを唱えるのは、無責任の誹りをまぬがれません。弁護士会はあらゆる人権問題に関与すべきだとしても、それが一方的な信条を押し付けるものであるなら、先に述べた批判的思考を教えなかった親や教師と同じであり、国民に対する啓蒙活動ということもできません。
日弁連は、直ちに、硬直的平和主義の布教を止め、全会員を巻き込んだ議論をすることから出発するべきです。それでも意見表明をしたいのなら、それに反対の会員もいることを明言してもらいたい。私は集団的自衛権行使を容認する弁護士です。