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人を殺す思想がなければ人を生かす思想もない
1.「人を殺す思想がなければ、人を生かす思想もない。」歴史学者の樺山紘一の言葉です。
死刑制度を巡るある対談中に、対談相手のうちの一人のある劇作家の言葉に触発され、それに続く言葉です。その劇作家は、対人関係において、あいつを殺さなければいけないという判断や死に値する者がいるという考え方は、人間の尊厳に関わる重要な問題である。死刑廃止は、人間が共同体を作って、その中でいいもの悪いものをお互いにかみ合わせながら、あるメカニックな関係性を形づくっていくという考え方を致命的に壊すだろう、と述べたのでした。
別の言葉で言い直すと、人間の社会を統制している等価交換の原理(ニーチェ)を壊すだろう、ということになりましょう。
劇作家は、ニーチェを知っていたのか、彼自身の人間性に関する洞察なのか。
2.人を殺す思想とは、例えば、正当防衛です。
愛する人や子供たちが殺されようとしているとき、その犯人を殺したいと思ったり、殺してもいいんだと考えることは、許されます。実行しても、犯罪とはなりません。
死刑廃止論者は、どうするのでしょうか。やはり、犯人を殺そうとするのではないでしょうか。それとも殺すことはしないのでしょうか。ただ、自分の愛する人や子供たちが殺されるのを、じっと見ているのでしょうか。犯罪者といえども、その生命は尊重されなければならない、とでも言いながら。
死刑廃止の思想は、つきつめれば、正当防衛を否定する思想に結びつくのではないか。
3.死刑廃止論者の考察には、深みがありません。人間同士の対立関係をも含めた「ふくよかな関係」を見ていません。限りある資源をめぐって、人間は、あるいは対立し、あるいは協調しながら生きてきました。国家は、そのようにして成立しましたし、死刑は、そのような制度のひとつなのです。
彼らからは腐臭がします。あらゆる対立を避け、おのれの命を惜しむだけの、ニーチェの言う畜群に特有の嫌なにおいがします。生命としての健全な成長や発展を嫌悪するような。
生を受けたものは、生命を繋げなければなりません。そこには、根拠はありません。あるいは、人間の知りえない理由があるのかもしれないとしても。
4.憲法9条に関連する議論を聞かされているときにも、同じような嫌な気持ちになることがあります。