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佐藤俊樹著「社会科学と因果分析 ウエーバーの方法論から知の現在へ」(2019年1月29日)を読む
1.驚いた。ここ数年読んだ本の中で、一番重要な本だ。著者自らが、「ああ、日本語が読めてよかったなあ」と思ってもらえる本を書きたかったと述べているが、まさにそのような本だ。
たまたま松原隆一郎の書評と斎藤純一のそれに接したが、いずれも、本書を称賛するものの、まだその意義を、十分には伝えていない。
2.本書の最大の意義は、来るべきビッグデータの時代に、それに対してどう立ち向かえばよいか、その指針を得られることだ。
因果関係の有無は、どのように認められるのか。歴史的に一回しかないことでも、因果関係ありと言えるのはどのような条件があるときか。多量のデータを統計的に処理したとしても、因果関係を認められるのか。問題状況は同じだ。
すでにウエーバーが、同様の問題意識を持ち、これと格闘していたことを知れば、勇気が湧いてくるではないか。
3.より一般的なことを言えば、社会科学者は自然科学者に対してコンプレックスを抱いていたように思う。それには、社会科学は、自然科学の成果を取り入れて、その内容を含らませてきたという思いがある。例えば、最近の経済学は、数学の知識なしには理解できないようになっている。
本書は、フォン・クリースの「確率計算の諸原理」という著書に書かれた考えが、例えばウエーバーに影響を与え、マックス・プランクの量子論にも影響を与えたことを指摘する。法学徒ならだれでも知っている「相当因果関係」も、その影響にあるというのだ。
これからは、社会科学は、自然科学のおさがりを着てきた、という負い目は不要である。量子論と同列に、インスピレーションを得てきたというのは、独自の発展を遂げてきたということだ。自信をもって、思索を深めたい。
4.日本で、自然科学的な厳密さでもって、法律学を考えようとしたのは、太田勝造の「裁判における証明論の基礎 事実確定と証明責任のベイズ的再構成」(1982)をもってその嚆矢とする、と思う。
しかし、後が続かなかった。太田自身、その後も研究を続けているようであるが、基礎理論についての深化はないようだ。
太田の著書と、本書とでは、距離が大きすぎる。誰か、その隙間を埋めてくれる法学徒は、日本にいないのか。それどころか、そのような問題意識を持つ人もいないのだろうなあ。