2006.10.30
「ITで変わるもの変わらないもの」
1.ITについて、当事務所では、以前から積極的に取り組んできました。「単なる新し物好きではないか。」との謗りは、甘んじて受けましょう。新商品だと飛びついて、その後、使われなくなった物は少なくないからです。
私が事務所に入った昭和63年、文書作成に本格的にワープロが使われていました。それ以前は、和文タイプライターが使用されており、作成した文書の訂正は、修正液を塗って、乾かして、手で書き加えていたようです。そのような文書がまだ、事務所に残っていました。ワープロの出現によって、文書の作成、修正が容易なものになりました。専用ワープロ機は、その後、パソコンとワープロソフトの組み合わせに代わっていきます。
2.菊地弁護士が、存命中、浦和地裁(現さいたま地裁)から破産管財人に選任されました。大型の事件であったため、私も、補助者に任命されました。その後、強制和議(当時)の申立てがあり、当時の法律では、債権者集会で、その4分の3以上の賛成が必要です。債権者の数は100人を超えています。集計を速やかに行う必要がありました。私は、菊地先生に、パソコンで集計をすることを提案しました。先生は、ラップトップと呼ばれた当時としては小型のパソコンを買ってくれました。高価だったと思います。
裁判所では、同時に、ワープロ機に付属する表計算ソフトで集計することにしました。平成5年10月4日、裁判所5階の大会議室で債権者会議がありました。別室で、集められた賛否の用紙を読み上げて、同時に入力します。結果が瞬時に出ます。私のパソコンと裁判所のワープロと、数字が一致しました。こうして集会を、速やかに続行することができました。さいたま地裁で、事件処理に、本格的にパソコンが使用された、極初期の例だと思います。
3.専用ワープロ機は、便利でしたが、情報交換にフロッピーディスクをやりとりするのが面倒でした。機種が違えばコンバージョンソフトが必要でした。その後、ワープロソフトを備えたパソコンが登場し、同時に、表計算ソフトも、通信もできるようになりました。当事務所では、社内LANも、平成9年に他の事務所に先駆けて採用しました。これで、フロッピーディスクのやりとりをする必要がなくなり、所内の情報を一元的に管理できるようになりました。各弁護士のスケジュール管理も一覧でできるようになりました。マイクロソフト社が、平成13年、雑誌「ジュリスト」(2001年4月1日号)に当事務所の社内LAN採用を紹介する広告記事を掲載しました。誇らしげな、当時の当事務所代表高野弁護士の写真が残っています。インターネットが本格的に業務に使われだしたのも、このころだったでしょうか。
4.パソコンとインターネットの結合は、パソコンを、単なる文書作成だけではなく、判例検索をはじめとする情報収集や、さらには事件処理についての発想の契機をも引き出す道具としました。本棚を我が物顔に占拠していた大部の法令集は不要となりました。モニターの向こうには、まるで無限の情報があるかのようです。現代では、かえって、あふれかえる情報の質を見極める目が必要だと自戒しています。
当事務所の知識、経験そして熱意を必要とする方に、正確な情報を、迅速的確に提供するためにはどうすればいいか。それが目下の課題です。インターネットが重要な鍵となることは間違いなさそうです。
これからも、ITの発達とともに当事務所の風景は変わり続けることでしょう。
しかし、依頼者の抱える法律問題を、ともに考え、解決したい、という当事務所の理念は、これまでも、そしてこれからも、決して変わることはありません。そのための「新し物好き」ですから。