2009.11.23

大塚 嘉一

オプティミスト ニーチェ

1.ニーチェは、従来、矛盾しているとか、錯綜しているとか、批判を浴びてきました。はたしてその主張するところは、「神は死んだ」と宣言するニヒリズムなのか、それとも生を肯定し自由を求める希望の哲学であるのか。

ニーチェは、その「善悪の彼岸」(1885)、「道徳の系譜」(1887)において、ダーウィンの進化論にヒントを得、多くの犠牲の血が流された結果として約束できる動物すなわち人間が作り上げられた、約束のとおりできないことが良心の疚しさとなり、それは道徳感情や宗教を誕生させた、その最高形態が法の制定である、と主張します。

ニーチェは、人間も、そして人間の文化も進化しうると断言したのです。哲学者デネットも、「ダーウィンの危険な思想」(1995)において、その点を高く評価しています。

2.デネットは、リチャード・ドーキンスが「利己的遺伝子」(1977年)で、文化の進化を「ミーム」と名づけて論じていることを支持し、ニーチェを、その先駆けとして評価しているのです。

ドーキンスは、E・O・ウィルソンの「社会生物学」(1975)とともに、生物の進化の単位を、種ではなく個体でもなく遺伝子に求めます。

ドーキンスが、文化の進化として「ミーム」を論ずるよりもずっと前に、ニーチェは、その洞察力だけで自説を展開しているのです。現在の進化論の研究は、天才の直感を跡付ける作業であるかのようです。

進化生物学、とか、行動形態学、というのも社会生物学とほぼ同様な学問です。現在では、種まで大きくないにしても、人間の一定の集団を進化の単位と見られないかが重要な争点となっています。

さらに、人間の文化や、個人の発明や意志についても、自然選択による進化論で説明できないかが、今、一番ホットな論点となっています。文化や個人の意志・発想が、集団にどのようにして広まるのか。それは遺伝子による進化と関係があるのか、あるとしてどのように関係するのか。これら進化学で今一番ホットな問題について、集団遺伝学から、類人猿学から、哲学から、心理学から、経済学から、考古学から、その他さまざまな分野においても、進化論の観点から論じられています。

しかしデネットは、ニーチェがせっかく、進化が目的や合理性と無関係におこることを認めながら、同時に「力への意志」が進化に与える決定的な影響について強調することを、論旨が一貫しないと言って批判します。

そうでしょうか。

デネットのほうがニーチェを読み違えています。

ニーチェは、道徳の起源を説明すると同時に、個人の決断の問題を論じたのです。「力への意志」は、まさに、個人の決断の問題です。

3.デネットは、ニーチェを実存主義の父、ダーウィンを祖父とします。実存主義とは、個人が、そうありたいと願うものこそがその者である、という考え方です。

1960年代、実存主義と言えば、サルトルでした。しかし、この実存主義の旗手は、レヴィ・ストロースの構造主義の立場からの批判(「野生の思考」)に対し、有効な反論をすることができず、あっという間に終焉をむかえたのでした。

しかし、サルトルばかりが実存主義ではありません。

進化論の発展により、ニーチェの主張が改めて、明確になりつつあります。  確かに、進化のプロセスである自然選択の集積する過程は、目的などを超越しプロセスの繰り返しです。それは、「善悪の彼岸」にある。それがニヒリズムです。「神は死んだ」との宣言ともなります。

しかし、神はなくとも、人間が道徳を身に付けるにいたる道はある。しかも進化の結果として。

社会生物学は、進化によって人間の道徳的な由来を説明できると主張しますが、同時に、個々人が、そのとき、その場所でなす個人の自由な決断を、決して否定するものではありません。

その個人の自由な決断を、ニーチェは「権力への意志」と呼んだのです。

人間社会の道徳が成立するに当たってはニヒリズムが妥当したとしても、個々人の個人道徳は、自由な決断(権力への意志)に対して開かれています。

個人の自由な決断は、集団に広まり、やがて自然選択にさらされることによって、進化することができます。

そのように考えると、ニーチェの宿命論と自由論との矛盾が解消されます。

社会生物学やそれに触発され進化を論じる各学問分野が、我々に与えてくれた大いなるプレゼントです。

デネットは、文化の進化を単純に遺伝子の進化と同じように考えたことで、ニーチェを間違って評価してしまったのです。

これからも学者の研究は続くでしょうが、その結論がどうあれ、ニーチェが、我々に必死に訴えた次のことの重要性は、決して揺るぐことはない、私はそう思います。すなわち、我々は様々な道徳的な、社会的な制約のもとで思考することを余儀なくされているが、もっと自由に、自分本位に考えることができるのだ、と。

我々は、新しくオプティミストとして蘇ったニーチェとともに、新しい実存主義の誕生する場面に出会わせているのかもしれません。現代社会の多くの決まりごとによる締め付けと、胸の内から湧き出る個人の叫びとの間で呻吟する者にとって、それは、大いなる救いとなる思想であるはずです。また、そのような思想に育て上げなければならないのだと思います。

我々の前に、苦があるなら、それと格闘する自由が我々にはある。その苦は、我々自身に由来するものかもしれない。あるいは、社会的な制約かもしれない。我々は、自分の才能と自分を育んだ環境を信じて、困難に打ち勝つために努力することが出来る。困難こそが、その人間の器を決める。人間は、目的を持つことによって、自分になることができる。

そのためには、自分自身を見つめることが必要です。ニーチェの思想の核心は、自分を醜いと認識することが美意識の始まりである、との言葉にある、そう私は思います。美や善や平和の不存在を意識することが、それらを希求することの始まりなのです。

デネットも、「ダーウィンの危険な思想」の最後に、ニーチェを引用しながら、我々に、人生に対して「然り」と言うことを提案しています。

4.最近、ある無差別殺人事件の被告人が、死刑になりたくて事件を起こした、そうなるについてはニーチェの影響を受けた、と発言したそうです。

全くの誤解です。

ニーチェの思想は、ナチスによるユダヤ人の虐殺に利用された過去があり、現在でも、ニーチェの「力への意志」を口にすることは憚られる雰囲気があります。

しかし、今では、ニーチェ自身が、反ユダヤ主義者を嫌悪していたことが明らかにされています。

同被告人は、ニーチェを、真剣になって読んだことがあるのでしょうか。

ニーチェの思想の半面であるニヒリズムは、様々な変容を受けながら、また誇張されながら、現代のマスメディアや大衆向きの本、漫画、映画などにあふれています。ニーチェを読んだことがない者であっても、それらに触れる機会は多くあります。

しかし、その反面である個人に対する希望の哲学の側面は、なかなかメディアにも受けず、広まっていないように見受けられます。

ニーチェの影響を受けたという無差別殺人者がいるなら、私は、彼が納得するまで付き合いたい。ニーチェは、あなたが、自分の自由を最大限に拡大することができることを述べているのですよ、あなたが取り付かれたかもしれないその考えからも自由になる方法について語っているのですよ、と教えてあげたい。

Summary

Optimist Nietzsche

OTSUKA Yoshikazu

In Darwin’s Dangerous Idea, Dennett praises Nietzsche for insisting that moral among the human beings had evolved, and blames him for admitting the influence of a Will to Power for evolution at the same page of his On The Genealogy Of Morals.

Dennett is wrong about the latter.Evolution of culture is different from that of gene.

Nietzsche emphasizes that a Will to Power is individual freedom. He is an optimistic existentialist.

Dennett himself also suggests at the last of his previous book we should say yes to life with Nietzsche.