2013.04.06
パソコン遠隔操作事件が教えること-陳述書の作り方
1.証人尋問は、刑事事件のみならず民事事件においても、訴訟の見せ場です。対立する意見がある場合、例えば原告が被告に金を貸したと主張し、被告は借りてない、あるいは返したと主張する場合。お互いが、契約書や領収書などの書証等を証拠として提出し、最後には証人尋問となります。そのうえで、和解が成立するなどの事情がなければ、裁判官が判決を言い渡すこととなります。
証人尋問で、裁判官が心証を形成する(どちらの言い分が正しいか判断する)、それをもって解決とするというのは、一つの思想です。単純に、真実を明らかにすることが目標であれば、例えば証人を、うそ発見器にかけるとか、町中に監視カメラを設置するとか、証人尋問の他にもいろいろと方策はありそうです。証人を、相手方からの反対尋問にさらすことによって、正義が実現する、国民の自由が保障される、というのは、一つの考え方、思想にほかなりません。歴史的には、紛争解決の方法としては、実にさまざまなやり方がありました。それ自体、非常に興味深いものがあります。しかし歴史を経て、現在は、独裁でも、無秩序でもなく、秩序を維持する装置として、法治主義が、そして証人尋問を中核とする訴訟が認められているわけです。
私は、証人尋問の奥深さに魅せられ、民主制におけるその意義の重さにやりがいを感じ、弁護士をやめられずにいます。
2.証人尋問においては、主尋問、反対尋問、(場合によっては)再主尋問、補充質問と手続きが進みます。主尋問は、証人を申請した方が行う尋問です。反対尋問は、それに対する方が行う尋問です。再主尋問は、必要に応じて、証人を申請した方が再度行う尋問です。補充質問は、裁判官が行います。
主尋問は、言わば味方に対する尋問です。反対尋問ほどの緊張感はありません。しかし、証人尋問の手練れほど、主尋問が難しいと言います。この言葉は、半分は、逆説的に面白く言ったものですが、半分には真理が含まれています。
当方の申請した証人とは、十分、打合せをしたはずですが、それでも、想定外の発言が飛び出すことがあります。また、人によっては、法廷で過度に緊張し、うまく発言できない人がいます。
そこで、民事訴訟においては、主尋問の前に、陳述書というものを提出します。それは、証人の証言する内容の概要や詳細を、あらかじめ書面にしたものです。証人の陳述書となっていますが、そして証人(陳述人)の署名がありますが、実際には、代理人の弁護士がいればその弁護士が、証人から事情を聞いたうえで、弁護士が作成したものです。
陳述書は、裁判官に証人の証言の骨子を理解してもらう、煩瑣な事柄について整理しておく、などのために作られます。実は、陳述書は、反対尋問のネタともなります。
ですから、弁護士は、陳述書を作る際、最大限の慎重さをもって、これに当たります。裁判官に、当方の言い分を信じてもらうことが目的ですから、まず陳述書内部に矛盾がないこと、陳述書以外の証拠と食い違いがないことなどに注意します。そのうえで、ディテールが合致すること、言い方などの表現も、証人の人となりを表していることなどに気を使います。
反対尋問を予想して、対策を考えておくことも必要です。
実は、裁判官は、証人尋問の前、陳述書の提出前に、書証等により心証を固めているのではないか、というのが、大方の意見です。私は、それでもなお、証人尋問によって、裁判官の心証を固め、あるいはそれを覆すことに努力を傾注したいと思います。陳述書は、とても使える武器です。
このように、陳述書は、証人の言い分を、ただ単純に聞き取ったものではありません。
3.事情は、刑事事件においてもだいたい同じです。刑事事件においては、供述調書というものが作成されます。これは、警察官や検事などの捜査官が、証人なり被告人の言い分を聞いて、書き取ったものとされています。
すると、そこには、捜査官が、裁判官の心証に影響を与えようとの意図のもとにできた文章が混じっている可能性があります。これが、日本の刑事司法の最大の問題点であると、私は考えます。冤罪の可能性をはらむからです。
そのようなことへの配慮から、取り調べの可視化(取り調べの様子をビデオで録画しておくことなど)が、問題となり、一部、実現されているのです。一般の方も、関心をもって見守る必要があります。
近時のパソコン遠隔操作事件は、今もなお、犯罪を犯してもいないのに自白調書がつくられることが在ることを我々に教えてくれます。
4.証人の意向とは異なる内容が盛られた陳述書、供述調書があった場合、今度は、それをどう覆すかという点に重心が移ることになります。
さあて、法廷弁護士の出番ですよ。