2015.09.09
想定外を考える
1.小三の息子が、柔道を習いたいと言う。
近くの警察署で教えてもらうことになりました。
小一のとき、公園で、あることから、小六を相手にファイティング・ポーズをとったところ、おでこを人差し指で押されて終わってしまったという「事件」があり、それ以来ずっと、強くなりたいと思っていたのだそうです。
そういえば、柔道と空手とどっちが強いか、と私に聞いていました。
柔道と空手とどっちが強いか。それは、そう簡単な話ではありません。
2.まず、ルールが違います。
空手は、ボクシングのように打撃が基本となります。これに対して、柔道は、レスリングのように、相手を倒すのが、中心となります。そこで、間合いをどうとるか、服をつかむか否か、寝技・関節技をするかどうか、などの差がでてきます。
また、空手でも柔道でも、それをやる人自身の強さということがあります。習いたての空手家よりも熟練の柔道家の方が強く、逆の場合は逆だと言えそうです。
最終的には、闘志の問題のようにも思えます。
なお、合気道は、諸流派がありますが、実際には関節技が基本であり、攻撃面に問題があります。しかしこのことは、合気道における精神修養の重要性を喚起するものであって、その存在意義を貶めるものではないと考えます。
息子の疑問は、例えば暴漢に襲われたときに、どちらが有効に対処できるか、というものであるかもしれません。ルールなしの場合です。この場合、空手と柔道との比較は、あまり意味がないかもしれません。力道山が、チンピラにナイフで刺されて亡くなったことを思い起こします。
ルールなし、すなわち想定外の場合は、普段の心構えの問題になるのだと思います。
暴力だけの問題ではなく、例えば先の原発の事故は、想定の範囲を自分で制限してしまい、悲劇を招いた例という教訓となります。
気にしすぎるのもよくありません。杞憂という言葉は、空から者が落ちてくるのではないかと心配する人を揶揄する言葉です。しかし、6500万年前には、実際に隕石が落ちてきて、恐竜が絶滅したという事実もあります。
かくして、危機に対する想定の範囲をどこに置くのかは、その人のセンス、自覚、覚悟の問題となります。
その覚悟があれば、自分の限界にも気がつきます。それを克服する気力を養い、努力することができます。個人や、組織、国家など社会とのかかわりにも思いが至るはずです。
3.日本国内においては、法があり、警察が、我々を守ってくれます。110番をすれば、警察がやってきてくれます。紛争は、最終的には、裁判で決着がつけられます。
国際関係においては、国際ルールのようなものはありますが、それを執行する政府がありません。
つきつめれば、いわば、ルールなしの、弱肉強食の世界です。
戦後、70年、日本は、戦争をしないできました。しかし、眼を世界に向けると、そのような国は、少ない。
見渡せば、領土的野心を隠そうとしない国。国民の不満をそらすためには、外に敵を作り出すことを何とも思わない国。経済的劣勢を、軍備で補おうとする国。
そのような国は、どのような行動をするか、それに対して我々は、どう対処したらよいのか、普段から、よく考えておく必要があります。
今般の安保法案は、そのような慮りで、できたものと理解しています。
この度、埼玉弁護士会の会長経験者が名を連ね、安保法案反対の意見表明というものを出しました。一人も、そのような意見表明に反対の人はいなかったのでしょうか。まことに、残念なことです。
憲法というルールは大事ですが、そのルールが当てはまらない場合を想定する想像力が必要です。
法律家は、法を守ること、守らせることが仕事の重要な内容となります。しかし、法というルールが守られない場合も、見通す洞察力が、真の法律家には、求められるのだと思います。法解釈学という殻に、自分を押し込めておきたい人、あるいは特定の信条から行動する人は別です。私は、法とは、皆が生きること、できれば善く生きることを目指す企てだと信じています。
不世出の柔道家木村政彦が、プロレスの力道山に負けた悲劇の理由は、彼が、その信奉する柔道の競技性にこだわりすぎたたからだ。そう想像します。増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」は、涙なしには読み切れません。
4.柔道と空手とどっちが強いのか。柔道を経験した者としては、柔道だと言いたいところです。投げ飛ばすことによって相手の体を、その体重の故に、相手に対する攻撃力に一瞬にして変えてしまう柔道のほうが、自分の拳や脚が攻撃手段にすぎない空手よりも、奥が深いと思いたい。生身の人間がする格闘技としては、あるいは、打撃力を付加した柔道が一番、強いのかもしれません。
しかし、息子には、単に強くなることよりも、ルールの大切さと、同時にルールという想定がない場合に対する想像力を一緒に身に付けることが大事だと分かってもらいたい。
それが、本当の意味で「強く」なることなのだと。